

安土桃山時代頃
天文3年(1534年)、和泉屋旅館の先祖が湯岐温泉の開湯発見時に鹿が傷を癒していたことから「鹿の湯」とよばれていました。
湯別当として当館先祖が天文8年湯神社(八幡宮)を建立し、その後代々、湯守を引継ぎ<大森和泉守>を代々名乗ったことにより「和泉屋」が屋号の由来になりました。
江戸時代
塙町は当時、天領として統治され、この湯岐は棚倉藩領(棚倉町)に属してました。
それにより藩財政の財源の一部とし湯銭に税をかけ湯治場として発展させていたようです。
その頃は、御殿を中心に殿様が湯治を兼ねて、温泉を堪能したようです。
当館先祖は湯守とし、苗字帯刀・中小姓の身分を許され来湯する殿さまの世話役をしたそうです。
幕末から明治初期
この頃湯岐温泉はもっとも旺盛を誇り賑わいを見せたそうです。
それを伝える絵図の版木から当時の様子がうかがえます。(当宿所蔵)
明治20年(1887年)には、時代の移り変わりと共に湯岐を伝える湯岐温泉のシンボルとして和泉屋旅館庭園内に石碑を建立し、現在にいたっています。